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フィリピンでの活動

2016.06.20

  • 学生活動
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英語英米文学科の学生の中には、積極的に海外に出て活動をする人がいます。そうした学生の一人である大石亜希さんにHPに寄稿してもらいました。紹介させていただきます。


「フィリピンでの活動」英語英米文学科 大石 亜希

私は平成28年3月27日から4月4日までの8泊9日間フィリピン(比)に行っていました。高校生の時も同じプログラムで参加し、今回が2度目の渡比でした。8泊9日間の滞在での経験の一部を、皆さんと共有したいと思います。
まず初めに、どうしてフィリピンなのか。私の家は祖父母の代から仏教徒で、私も仏教の教会に通っています。その教会の活動の一つで、40年ほど前からフィリピンと交流があり、日本全国の高校生を中心としたプログラムで、今回は大学生スタッフとして参加しました。

2泊3日で"Focolare movement"(フォコラーレ運動)というイタリアを中心とするカトリックの団体と交流するプログラムがありました。フォコラーレは"Love and Unity"=「愛と一致」を生活の基本とし、活動は世界各地に広まっています。「フォコラーレ」とはイタリア語で「暖炉」という意味で、フォコラーレの人たちの活動を見ていた周りの人たちが名付けたと言われています。私たちが滞在したのは、小さな町タガイタイです。主に交流したのが、フォコラーレのなかの"Gen"と呼ばれる青年グループでした。
フォコラーレは政府の支援が行き届かない地域へ支援活動をしています。私たちも実際に支援を受けている村の一つを訪問しました。

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写真の家族は、後ろにある小さな家に家族8人と自分の子供ではない3人の子供の計11人で暮らしています。貧しいけれどみんなで支え合って暮らしているのです。写真の中央にいるお父さんが抱いている少年は生まれつき足が不自由で、いつか歩けるようになるためにお母さんが週に一度少年を抱き、長い道を歩いて病院へ連れて行っています。その病院はフォコラーレが支援しているので無料で診療が受けられます。
「貧しい僕でも貧しい人たちを救いたいと思う。」とメッセージを書いてくれたGenの青年がいました。日本にも貧富の差はありますが、フィリピンほどではありません。そして私の生活もまたそのGenの青年よりも恵まれたものなのだろうと思いました。フィリピンにこんな暮らしをしている人がいることを知り、フィリピンだけでなく世界のいたるところで同じようなことがたくさん起きているのだろうと思いました。日本に戻り、今まで通りの生活をし、あれが欲しいこれが欲しいと思うたびに、今でも、自分はなんて贅沢な暮らしをしているのだろうとフィリピンで出会った人たちのことを考えます。まず私にできることはフィリピンで知ったことを日本に帰って周りの人に共有することだと思いました。それが今回このレポートを書こうと思った理由の一つです。

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お互いがどうやったら通じ合えるのか、一生懸命コミュニケーションをとり、彼らはなるべく簡単な単語を使ってゆっくり話してくれ、いつも思いやりを感じる場です。
この2泊3日で他者を私から愛することの大切さ、言葉の壁や文化の違いを越えて人と人は繋がれるということを学びました。

私は幼いころからユニセフ募金を行ってきました。そして、フィリピンでユニセフ募金の支援を受けて大学に通っている奨学生たちと交流しました。
フィリピンでは、大学に進学することは日本よりも難しく、大学に進学することが出来ない人の方が多いです。そして、こうした支援を受けて大学に通うことが出来るのは成績が優秀なほんの一握りの人だけなのでみんな一生懸命勉強し、勉強ができることに喜びや幸せを感じ、募金活動をしている私たちに本気で感謝してくれました。どこでどんな人たちにどんな風に使われているのかを知り、今までは募金箱に何となく入れていた100円玉にも、その人たちへの想いを込めながら募金ができるようになりました。私は今、日本で生活していて、当たり前のように毎日学校に通うことが出来ます。しかし、勉強ができる環境があるのに他の誘惑に負けて無駄にしたこともたくさんあります。勉強ができる環境や家族、周りの人たちの協力に感謝しなければならないと思いまいた。
また、その奨学生たちとともにフレンドシップタワーに行きました。「フレンドシップタワー」は戦後、戦争犠牲者の慰霊と日比友好、世界平和建設の願いを込めて建てられました。

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第二次世界大戦のとき日本はアメリカと戦いました。その戦地にされたのがフィリピンでした。当時の日本兵たちは何の罪もないフィリピンの人たちに残虐なことをたくさんしました。一時は国交も断たれましたが、フィリピン政府が日本を許してくれ、再び国交を回復させることができました。憎しみからは何も生まれないということを改めてフィリピンで学びました。平和な世界は待っていても来てはくれません。努力してそれを実現するべきなのだと分かりました。まず私は、友人や家族と仲良くし、私の周りの世界から平和にしていきたいと思います。

日本に帰ってきたとき、物欲が全く無くなっている自分に気づき、驚きとともに、満たされた気持ちでいっぱいになりました。日本は、私がフィリピンに行く前と何も変わっていませんでしたが、同じ生活をしても目に映るものや感じることが変わっていました。ささやかですがたくさんのものごとに感謝できるようになりました。日本では蛇口をひねればすぐにお湯が出てきて、あたたかいお風呂に入ることができます。生野菜が食べられます。あたたかい便座に毎日座れます。毎日大学に行くことができて、友人がいて家族がいて、裕福ではないけれど十分な生活ができます。今は、そのすべてが幸せなのだと感じることができます。9日間不自由なこともありましたが、足りないものよりもそこで得られたものの方が多く、毎日が新しい発見であふれ、充実していました。また、9日間でたくさんの「違い」に触れました。異なる言語の中で、他宗教や異文化に触れ、違いがある中で理解し合うにはどう関わったらいいのか考えました。文化や習慣はその場所に根付いたものであって、私には変えようがありません。しかし、その違いのすべてを受け入れられるわけではないので、ただ否定せず、違いを違いのまま受け入れる努力をしました。それが困難なときもありましたが、9日間という期限付きだったので乗り越えることができました。「違い」は国や文化の違いに限らず、すべての人が持っている個性でもあります。何を好み、何を考え、どのような選択をするのか。自分が理解できないような思想や言動をする人もいるかもしれません。しかし、それを否定せず受け入れることは必要なことです。日常生活の中でその違いを感じながらいろいろな人と関わり繋がっていきたいです。二年生になったらSTAYSにも行きます。そのとき、また新たな「違い」に出遇うことになると思います。その違いをどのように受け止め行動していくかが、今後の英語学習や異文化理解をより深いものにしてくれるでしょう。
このフィリピンでの経験は、間違いなく私のこれから4年間の英語学習を豊かにしてくれるのだと思います。

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