• エッセイコンクール

安田女子大学・安田女子短期大学では、毎年、本学の学生を対象に「エッセイコンクール」を開催しております。 どの作品も学生それぞれが抱える内情や問題について、深い思考を重ねたことが窺える作品となっています。ぜひご覧ください。

『わたしの過ごした まほろばの日々』出版のお知らせ


この度、書籍『わたしの過ごした まほろばの日々』を安田女子大学出版会から出版する運びとなりましたのでお知らせいたします。『わたしの過ごした まほろばの日々』は本学実施による「エッセイコンクール」での受賞作品をまとめた作品集となります。
watashinosugoshitamahorobanohibi.jpg

本学エッセイコンクールの歴史は古く、1988年度開催の第1回から2019年度で33回目を迎えます。優秀作品については毎年、広報誌『まほろば』に掲載して参りましたが、卒業生や一般の方にも広く読んでいただきたいとの思いから、過去優秀作品53点を1冊に収めました。
本書籍は安田女子大学ブックセンター(紀伊國屋書店)、紀伊國屋書店広島店(アクア広島センター街6階)で販売しています。また安田学園サービスのホームページからもご購入いただけます。
是非、一度お手にとってご覧ください。

書籍名:わたしの過ごした まほろばの日々
発行者:安田女子大学出版会
価 格:本体900円+税

第35回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「気候変動による季節感のずれ」「男女共同参画社会を考える」「微笑ましい情景」をテーマにした課題部門への応募が19件、自由部門への応募が47件、計66件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しました。学長賞2作品(全文)を紹介します。

課題部門

  • 優良賞

    ■テーマ:微笑ましい情景

    「日常」

    国際観光ビジネス学科
    1年2組 遊佐 帆香

自由部門

  • 「LINE」

    日本文学科
    2年2組 桐田 花凛

審査員より

■課題部門 学長賞「女子教育から考えた男女共同参画社会」

女子校から女子大に進学してきた筆者が、現在の国際的課題である「男女共同参画社会」について、自分の体験から得た視点で考察したことを整理して書いている点を評価したい。言い変えれば、時代の変化、ニーズを客観的に捉え、女子教育のあり方について考察している力強い作品である。自分自身が、中学、高校、大学と女子高、女子大学で過ごし、女子のみの集団では「女子も男子も無く」、一人間としての自己がより一層問われてくるとのエッセイ冒頭の問題提起は印象的である。青年期に女子教育に触れ続けたからこそ明確になった問題意識は、時代の変化のなかでの女子教育の意義の主張としてインパクトがある。 「社会に必要な人材とは何か」という点では本来男女の差別など存在しないが、妊娠出産を担う女性としての役割にも注目し、その選択を「否定しない」ことの重要性を問いかける意見を出すことで主体的な選択が平等化に繋がることを指摘したメッセージに共感を覚えた。加えて、女子校で長年学びながら、旧態依然とした女性の役割を全面否定するのではなく、男女に拘わらず自分の意思、能力を発揮するべきであるとした客観性が評価できる。女性の差別を過剰に意識するのではなく、主体性をもつ意思決定に参加するべきであるとする。諸外国との単なる比較ではなく、まず自分のこととして「ジェンダーレス」を考える点が優れている。

■自由部門 学長賞「わたしの家に蟹が来た」

母が懸賞で毛蟹を当てて家族で食べた、というささやかな出来事を通して、「食べることで命をつないでいくのだ」という根源的な問題を、的確な表現とスピード感のある展開で生き生きと描いた点を高く評価したい。自分の体験を振り返って普遍化することで日常の「食べる」行為と「いただきます」という言葉の本当の意味を理解し、「生き物の命を私がいただこうとしている」ことの気付きをさらりと描きながらも、奥深いものがあると感じた。加えて、ユーモアのセンスが抜群である。また、臨場感あふれる表現であり、文章が映像化されている。また、人間は生き物の「命」を日々食料としていることに思いを馳せるべきである点に言及し、全体を通じ哲学的ですらある。カニカマとホンモノをカタカナで表現するほほえましい家族が「我が家の今年一番の大事件」と大合唱する声が聞こえてきそうである。特に、生きものの命をリアリティある描写で、感性豊かに表現している作品に仕上がっている。蟹を「ヤツ」と表現している点はセンスがある。他の命の犠牲なくして我々の命は成立し得ないという日常生活において見過ごしがちな視点を、「ヤツ」である蟹と「わたし」が対峙する場面描写を通して巧みに表現している。総じて、ユニークな発想で書かれたエッセイであり、筆者の家に懸賞の賞品として送られて来た蟹を家族で料理して食すまでの顛末をユーモラスな文章で語っている。鍋の中での生き物の死は一抹の哀感を家族に齎すが、結局の所は茹であがった蟹を賞味してしまう。食と言うものが、食材となる生き物の命の重みに支えられていることを何となく実感させられるエッセイである。語り口が軽快なためか、話が暗くならない所が良い。

エッセイコンクール審査員/冨岡 治明・古瀬 雅義・大庭 由子・永田 彰子

【芥川賞作家】
𠮷目木 晴彦先生より

樋口一葉は小説を生み出す才能においては、近代随一の作家でしょう。彼女が夭折しなかったら、日本文学の歴史はどう変わっていただろうかと、現代の小説家や批評家が今も折に触れ空想し、話題にもします。 和田芳恵「一葉の日記」(講談社文芸文庫版、絶版)によれば、晩年の一葉は、小説家を辞めたいと考えていたようです。「我れは女なり。いかにおもへることありとも、そは世に行ふべき事かあらぬか」25歳(満年齢24歳)の2月22日の日記にそう記した彼女が考えていたのは、下層社会の女性救済活動でした。 今回の学長賞受賞作品「男女共同参画社会を考える」を読んだら、泉下の一葉は何を思うでしょうか。自分の死後120年を超えて、同世代の女性がこのようなことを考え主張する世が実現したのだなと、感慨深く思うに違いありません。女性の地位が伴侶次第の時代、小学校4級までの学歴しか持てなかった樋口一葉は24歳の若さで貧窮の中、金のため恋文の書き方の実用書原稿を書きながら結核に命を奪われました。 もう1つの学長賞受賞作「わたしの家に蟹が来た」は文体に感心しました。この作品が成功した第1要因は、センテンスが短いことです。これは、文脈が乱れない、文章にリズムを生み出す、作者の意図が明確に伝わる、などの効果をもたらしています。さらにユーモアのセンスが文章全体をくるみ込んで読む側を微笑ませます。作者は自分を客観視しています。大人が幼児の行動を観察するように見ています。同じ視線が「いのちをいただく」という悟りを呼び寄せているようです。夏目漱石が文学論で指摘したリアリズムの要諦。「吾輩は猫である」の語り手の猫の視点。本作も同様に秀作です。

𠮷目木 晴彦先生

【主な受賞歴】
  • ・第28回群像新人文学賞優秀作(1985年)『ジパング』
  • ・第10回野間文芸新人賞(1988年)『ルイジアナ杭打ち』
  • ・第19回平林たい子文学賞(1991年)『誇り高き人々』
  • ・第109回芥川賞(1993年)『寂寥郊野』

第34回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「生まれ変わるとすれば」「私をブランディング」「子どもたちの未来を考える」をテーマにした課題部門への応募が29件、自由部門への応募が56件、計85件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しましたのでこちらで紹介いたします。

課題部門

自由部門

審査員より

■課題部門 学長賞「子どもたちの逃げ場所」

路地に迷い込むのに誰も気付かず、止めてやれない・・・SNSと現代の子どもとの関係がよく書けている。定量評価の対象物という身の上から抜け出す先は、サイバー空間しかない子どもたち。鋭い切り口を示した作品である。特に、若者が「生きづらさを感じるとき、我々はどこに助けを求めるのか」という筆者の問いが作品にインパクトを与えている。筆者はSNSの世界が持つ都合の良さを知りつつ、そこに蠢く危険も認識している。そのような危険をはらむSNSの世界に逃げ込まざるを得ない現代の子どもの状況を作っているのは、学校教育の問題であり、さらには現代社会の価値観の矛盾にあるとの指摘には納得させられる。加えて、SNSの危うい世界での居心地のよさとそこに潜む危険性を見事にあぶりだしている。理屈抜きの「同調圧力」に対しては、表層的な「異文化理解」などの小手先学習では無理でしょうと厳しい評価を下している点が優れている。総じて、人を数値化して評価することに違和感を感じ、傷ついた子どもがSNSに自分の居場所を見つけそこに逃げ込んでいる現状と、その危うさを的確に捉え、自分なりの解決策を模索している。「逃げ場所は現実世界にそれも学校に」という締めくくりは非常に説得力のある訴えかけと評価できる。

■自由部門 学長賞「あゝ人生は怪我ばかり」

作者が生まれてこの方、何度も怪我ばかりをしていることをユーモラスな語り口で、微に入り細に入り描写している。読んでいて微笑ましくなるような感性に溢れたエッセイであり、読者の共感を呼ぶ優れた文章構成になっている。読者が目の前で怪我の現場を見ているかのような情景描写が秀逸である。誰でも怪我はする。いきなり命を落とす者だっている。作者の怪我は、本当は大した怪我ではないのかもしれないが、その時の心細さ、情けない心情がそのまま描かれており、読む側にも懐かしい記憶を思い起こさせてくれるが、不思議と悲壮感は感じさせない。きっと皆同じような体験をしてきたからだろう。総じて、読んでいて思わず引き込まれる文章表現が印象的な作品である。飲酒をした際に古傷が赤くなるとの描写から、その怪我をする経緯への展開がユニークである。2回の怪我をした場面の描写も非常に臨場感にあふれており、その文章展開は読み応えがある。

エッセイコンクール審査員/永田彰子、吉目木晴彦、大庭由子、高田厚、冨岡治明(委員長)

第33回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「SNSについて考える」「家族について思うこと」「凛として生きる」をテーマにした課題部門への応募が54件、自由部門への応募が64件、計118件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しましたのでこちらで紹介いたします。

課題部門

  • 優良賞

    ■テーマ:SNSについて考える

    「トリツカレ」

    現代ビジネス学部国際観光ビジネス学科
    3年1組 中田 希美

自由部門

審査員より

■課題部門 学長賞「家族について思うこと」

母親と自分との親子としての関わり合いと家族というものの大切さを、己の幼い頃の体験を基に、素直な気持ちと優しい視点で、自然体の読みやすい文章で綴った優れたエッセイである。感心することに、奇を衒ったところが微塵もない、素直で率直な文章である。書かれている内容も家族の波乱と著者の成長の物語として、悲劇を含む内容であるにもかかわらず、すがすがしい読後感が残る。また、話の構成、表現力、人物描写に優れている。加えて、読者の心に染み入るような繊細な筆致での情景表現が秀逸であり、読者に深い感動を与えている。涙の話ながら、語り口は情緒過剰な様子はまったくみられず、どこか淡々とさえしたシンプルで読みやすい文章の中にも場面場面の情景が描写され、私と母の涙を軸に、一つの「家族」の変遷が描き出されているように思う。軸がしっかりしているからこそ、さまざまな場面を描きながら、説明不足とも感じない。なんだか映画のように情景が想像された。

■自由部門 学長賞「いただきます」

食べ物を通していのちと向き合うということを丁寧に描写している作品である。串焼きとしての鶏肉からいのちの在り様を描写する意外性が読者の興味を喚起させる。仕事を共有する親子の時間をさらりと触れつつも、仕事をする親の後ろ姿が筆者の意識に与えた影響を読み手に印象付けている。今年のクリスマスはローストチキンが食べられなくなるのではと思わず思ってしまった。生き物を食すという人間の行為は太古の昔から続けられていることだが、「命をいただく」ことに対して「感謝」の気持ちを常に持ち合わせているか否かを突き付けた点が素晴らしい。そしてこの重大な視点を自分の身近な事例で述べたことが勝因である。因みに、「いただきます」に相当する英語は何か。まさか「Thank you」や「l will receive」ではないだろう。日本に文字(漢字)が伝わった時、自分たちの現実を文章にしようとして大学寮(高級官僚養成所)の秀才たちは、中国語以外の書き言葉、すなわち漢文を作り出した。中国語の単語では日本の感性=姿が表現できなかったからである。総じてこの「いただきます」というタイトルのエッセイは、すぐれて日本人の感性,文化を表す言葉で、自分の体験からそれに向き合うところまで行き着いた秀逸な作品である。

エッセイコンクール審査員/永田彰子、吉目木晴彦、大庭由子、西村聡生、冨岡治明(委員長)

第32回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「気は心」「学内サークル探訪」「嬉しい便り」をテーマにした課題部門への応募が8件、自由部門への応募が90件、計98件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しましたのでこちらで紹介いたします。

課題部門

  • 学長賞

    該当作品なし

  • 優良賞

    ■テーマ:嬉しい便り

    「5年前の自分から」

    現代ビジネス学部国際観光ビジネス学科
    2年2組 平中 ちあき

自由部門

審査員より

■課題部門 学長賞 該当作品なし

■自由部門 学長賞 「夏の嵐」

初めて人の死、近親者の葬儀に立ち会った心の動きを描いた本作は、死と現世との有り様を伝えて秀逸だった。テーマ、構成、文章力のいずれも申し分なく、かすかなユーモアも表れている。最後の日常の回復は死の本質を突いている。「嫌いだった」と断言する祖母の死に際して、親類家族や自身の感情を冷徹な視点で淡々と綴る。葬儀の最中、終始機嫌悪く黙りこんでいる著者の姿がありありと目に浮かぶ筆力に感嘆させられる。20代前半特有の御しきれない感情が的確に表現されており、読後感は必ずしも良いものではないが、秀逸なエッセイである。確かに、身近な人の死に触れて動き出す筆者の感情描写は、どこかニヒルで時に悪意を孕んでいるのだが、実は誰しも似たようなものであったりするから、読者もくすぐられるという面白さがある。しかし、この出来事が「死とは何か」「生きるとは何か」を問い返してきたとき、そこに深いテーマ性を与えることに成功している作品であると言える。総じて、祖母の死と葬儀と言うかなり暗い話題について、筆者なりのペーソスを利かせつつ若干のユーモアを加えた形で、自分の心情と心の動きについて細やかに語っている。人の心に生命と死と言うものについての何かを呼び起こさせるような文章構成になっている。

エッセイコンクール審査員/吉目木晴彦、八木秀文、大庭由子、小倉有子、冨岡治明(委員長)