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『社会学』を学ぼう~「公共経営学科」

2020.10.16

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皆さん、こんにちは!『社会学』を教えている、講師の青木克仁です。

2020年度入学の大学1年生は、まさに、21世紀になって生を受けた世代です。ですので、これを今読んでいらっしゃる高校3年生の皆さんも2002年(H14)から2003年(H15)の間に生誕した世代でしょう。すると、皆さんにとっての「デフォルト(初期状態)」が経済低迷期の日本、社会の空洞化の起きてしまった後の日本、ということになり、そうした日本の光景が当たり前になってしまっているので、社会が空洞化しているなどと言われても、逆にあまりぴんとこないのかもしれません。

社会学は、哲学と並んで、当たり前だとされていることを疑う学問です。でもどうでしょうか?皆さんにとっての「デフォルト」を疑ってみるということは困難なのではないでしょうか?なぜ困難なのか、説明しましょう。

哲学者のハイデガーは「被投(ひとう)性(せい)」という言葉で、「私達が、自分自身が選んだり、つくったりしたわけではない世界に放り込まれてある、という状態」を表現しました。例えば、あなたは、偶然かつ端的に「女性」として、自分の与り知らぬルールが支配する、この時代の日本のこの場所に、このような姿格好になるよう、生まれ落ちてしまったのです。自分達には完全に理解し得ない、大部分が統御不可能に思える事象世界の中に、自分達が巻き込まれているという、遅れてやってきた世界における方向感覚の喪失を眩暈のごとく感じているのではないでしょうか?

それでは、自分を巻き込んでしまっているこの事象世界から身を引き離して、自分達がどのような社会を生きているのかを的確に知る方法はないのでしょうか?マックス・ヴェーバーと並ぶ社会学の巨頭、エミール・デュルケムは、社会学は比較社会学である、という方法論を示しました。「社会」を実験対象にはできないゆえ、「実験」に代わって「比較」という方法を考えたのです。「比較」を通して「他の社会」と照らし合わせることで「自分の社会」を知るのです。例えば、「過去の社会」を参照項として、一見何も変わっていないかのように見える現在社会の当たり前を分析することが可能なのです。

生き辛さを感じている皆さん、共に「社会学」を学び、自分達が生きているこの社会が何故今のようなものになってしまったのかを理解し、皆さんなりに、抵抗の拠点を築いてみませんか?当たり前は「当たり前」ではありません。変えられるのです!

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