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「日本語の勉強の先にあった通訳・翻訳」

2018.06.25

  • 学科コラム

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2018年4月に新しく赴任された北原アンドレア先生に、HPに以下のエッセイを寄稿していただきました。

大学入学当時明確な目標がなかった私には声をかけてくれた一人の先生がいました。設立2年目の日本語科にはさほど学生が集まっていなかったのでしょう。熱心にその魅力や利点を説明する先生に押し切られるような形で入った日本語科でした。一週間の授業数の8時間はほかの科目と比べて約3倍でした。まったくの初心者には本当に大変でした。

一学期が進むにつれ少しずつ日本語の面白さを感じ、気づいたら一年が終わっていました。二年生から日本語を専攻するようになりどっぷりとはまっていました。日本語が使われている日本を知るほうが良いと思って日本語に加えて「日本学」と言われる様々な授業も受講していました。一年間で縄文から第二次大戦までと幅広く歴史を勉強したかと思うと、近代日本政治経済、新宗教と日本、蘭学、浮世絵と社会などなど興味をそそる内容ばかりでした。

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(掲載雑誌とともに)


学士の三年間が終わるころ日本語と日本がすでに生活の一部になっていました。そのためか迷いもなく卒業と同時に日本に行く目標を立てて、卒業式を待たず来日しました。勉強した日本語が使える気持ちといざ使おうとすると通じない現実に直面しました。辞書を使わず、毎日ひたすら人々が話す内容を立ち聞きしながら日々を過ごしていました。その中少しずつ自分の日本語に変化が起き、通じる会話が多くなりました。

更に結婚をして、毎日の暮らしに日本語を使うことで感覚や状況からたくさんの新しい日本語に出会うことができました。話したり、読んだりするものが増えていったのもこの時期からです。同時にちょっとした通訳や翻訳を頼まれるようになりました。

通訳や翻訳の訓練や教育を受けたことがなかった私はちゅうちょすることが多かったです。自分では読めない日本語を夫に読んでもらいながら文書の意味を考え、理解するまでに時間がかかりました。ふりがなを振った文書をお願いして辞書を片手に訳すことは大変かつ長いプロセスでした。通訳に関していえばいきなり警察とともに逮捕現場まで同行して立ち合い通訳をするということもありました。

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(通訳)

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(講師)


しかし時間とともに一つ一つの経験が積み重なって、自ら翻訳や通訳を専門家としてやりたいと思い、そのためにもう一度指導を受けようと大学院で専門の勉強をすることに決めました。そこで学んだものと実践で得た経験を合わせながら自然に身に着けた技術をより専門性の高い翻訳・通訳に活かすことができました。最初に日本語と大学で出会ってからかれこれ20年以上がたっていました。

今では自分の技術を次の世代に伝達できることにやりがいを感じています。翻訳・通訳にかかわることによって常に新しい発見と驚きがあり、ふたつの異なった世界をつなぐ役割に喜びを感じています。

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(活動を掲載した記事)