

「こころ」と「もの」が出会うところ ―― 行動経済学への招待 ――
2017.11.02
古山友則 講師(計量進化学、統計科学、経済数学)
なにかを考えているとき、独り言が口をつくことがあります。自問であったり、葛藤であったり。机の前で身を硬くして、額に汗が浮かぶほど意識をつよくもてば考えているかというと、そうではなさそうです。心の風通しをよくしたり、本から目を上げて窓の外を眺めたりといった一連の動作が、考えるということに収斂していくのではないか。そうした身振りや環境もふくめて、私たちの思考は成立しているように思われます。
先日、ゼミ生がスマートフォンに「OK, Google ?」と話しかけていました。自分のなかの他者や自分のなかに映り込んだ社会に話しかけることで思考する私のような旧人類にとっては、こうした学生の行動は新鮮です。グーグルアンドロイドやSiriは身近な例ですが、テクノロジーは私たちの環境を慌しく変えつつあります。環境が大きく変われば、人の心も変わっていきます。日本が高度成長を経験する前の時代、農村には土地の習俗や儀礼に彩られた、その土地に固有の合理的な生活のシステムがありました。しかし ―― というのは感傷的な言葉遣いですが ―― 現代の私たちにとって、祖先の歴史は多分に実感を失いつつあります。ディズニーランドがこれだけ人々を惹きつけるのは、その空間に入ることで心に特定のはずみが生まれるからでしょう。将来、AIが遍在して人とアンドロイドが自在に会話することになるとしたら、私たちの心のかたちも今とはちがってくるでしょう。一方では、地上にモノでつくられた物質の世界があり、他方では、モノに視線を投じる私たちの意味体系の世界があります。身体、脳、心、社会を別個の分析対象としてではなく、おなじフレームに捉えて分析すべき時代がやってきました。私たちの「こころ」は、そうした環境でたえずゆらぎながら、新しい装いで再生していく観念のように思います。
前置きが長くなりましたが、2017年度のノーベル経済学賞はシカゴ大学のリチャード・セイラー教授に贈られました(これが本題です!)。スウェーデン王立科学アカデミーからの授与理由は「人間的な特性が、個人の決定や市場にどんな影響を及ぼすのかを示した」ことです。セイラー教授にとってたいへんな名誉であるだけでなく、行動経済学という分野を開拓したD. カーネマン(2002年)、金融行動にその知見を応用したR. シラー(2013年)につづく受賞です。この分野が世界的に注目されていることがわかります。
来春に創設の安田女子大学ビジネス心理学科では、「こころ」と「社会」のインターフェイスにかかわる科目をたくさん学ぶことができます。「行動経済学」はそのなかの1つです。この学問は面白いです。なにが面白いといって、周知のように私たちの生活はビジネスに取り巻かれていますが、それを見る目を鍛えることができるからです。たとえば、モノの売りかた1つをとっても、そこには苦心と工夫が凝らされています。それを見抜き、改善できる考え方を知ることができます。
先日のオープンキャンパス公開講義で、本学の橋本博文先生(来春からビジネス心理学科教員)が「心理学とはみなさんや私の脳のクセを解明する学問です」といっておられました。企業がサービスを提供し、私たちがそれを購入する市場は、つねに緊迫した戦いの舞台です。企業は自社のつくるものを買って欲しいと知恵を絞りますし、買い手も財布と相談しながら、よかれと思って商品を買います。まさにこのプロセスの逐一の場面で、脳のクセを利用したり、させられたりといった冒険活劇がくりひろげられています。しかしこれまでの経済学は、(ある意味で)非合理的な群像としての人間集団を明確にあつかってはいません。
たとえば、L. ワルラスに由来する20世紀のミクロ経済学では、企業は利潤を正しく最大化し、家計は幸せ(効用)を正しく最大化することになっています。ここでは、企業は利用できる技術のくみあわせのすべてを適切に判断でき、家計は予算の範囲内で自分を一番幸せにしてくれる商品のくみあわせを適切に判断できると想定されています。ですが、もし企業で原料買い付けや納品をおこなう人の脳や、食材を購入するおかあさんの脳に「クセ」があったらどうしますか。認知心理学や行動経済学の研究によれば、私たちの脳はクセだらけであることがわかっています。私たちは実際にはクセ、つまり思い込みや偏見に満ちた行動をくりかえしているわけです(注1)。
例を1つだけ挙げましょう。ある手術の実施判断にあたり、患者は「術後1ヶ月の生存率は90パーセントです」と「術後1ヵ月の死亡率は10パーセントです」のどちらを告げられたほうが手術に同意するでしょうか。
この2つの言明は、論理的にはおなじ意味です。しかし、前者の言い方で告げられたほうが、人は手術に合意する比率が大きくなります。おなじ意味でも、表現の仕方によって解釈がことなるケースが少なくありません。これは良く知られている脳のクセの1つで、「フレーミング効果」と呼ばれています。ほかにも、アンカリング、確証バイアス、錯誤相関、損失回避、ハロー効果等々、たくさんのクセの所在が明らかになっています(注2)。こうしたクセについて学ぶことは、人間と社会の関係をミクロレベルで問い直す作業につながっていきます。
いったい、こころとは、心理とはなんでしょう。どこまでも身近で、どこまでも深い問いです。こころが本当に実在するかはともかく、こころをもつとみなされた人間集団がなす社会もまた、不可思議な性質に満ちています。
学問のいいところは(とくに学問だけにいえるわけでもないですが)、具体的なテーマを解き明かそうとして努力すると、普遍性に到達するということです。それは、みなさんが一生懸命研究した先に見えてくる風景です。私のゼミで4年生がとりくんでいるテーマを列挙してみると、「エネルギー利用の近未来」「人工知能の社会への影響」「地方自治体のメディア戦略」「チームをうごかすリーダーシップ」「ファンタジーの魅力とは」「都市と地方の関係性のくみかえ」「日本で海洋エネルギー発電が普及しないわけ」「なぜボランティアは仕事ではないのか」「人間にとって顔とはなにか」「未来の組織デザインを求めて」「CSRの由来と展望」となります。彼らの表情には焦りが見えますが、どこまで研究を進めることができるでしょうか。
山上から、海辺から、路傍からと、風景はそれぞれに異なるものです。勉強という道をたどった先に見えるものにも固有の趣があります。友人・教員と切磋琢磨し、議論しながら、ビジネス心理学科でその風景を拓いてみませんか。
注1 : 誤解されがちなのですが、ミクロ経済学という科学は単純な誤謬ではありません。市場の機能を解明するという点において、それが明確な成果をあげたことは記しておかなくてはなりません。これについてはミクロ経済学の講義で学習します。
注2 : こうした成果を伝える行動経済学の基本書に、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(上下巻、村井章子訳、早川書房、2014年)があります。高校生のみなさんがすぐに読むには難しい箇所もありますが、明確に書かれた良書です。一緒に勉強しましょう。