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新元号「令和」の源をたずねて ~文学部長 富永一登 教授に聞く~

2019.04.05

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2019年4月1日、平成に代わる新元号「令和(れいわ)」の決定が発表されました。
新元号の発表を受け、「令和」の出典やその意味について、連日、ニュースや報道をにぎわせており、万葉集をはじめとした古典文学への注目が高まっています。

そんな新元号「令和」の実の源について、中国古典文学、なかでも『文選(もんぜん)』の研究を専門とする日本文学科 富永一登 教授(文学部長)にお話をうかがいました。
日本の古典文化形成の背景をふまえた大変興味深い内容となります。是非、ご一読ください。

新元号「令和」の源をたずねて

新元号「令和」は、『万葉集』の巻5にある大伴旅人おおとものたびとの作(730)といわれる「梅花の歌」の序文「初春月、気淑風」(初春の令月れいげつ、気く風やわらぐ)を典拠に考案されたそうです。実は、この二句は中国の古典をもとに作られたのではないかと思われます。それは、526年ごろに梁・昭明しょうめい太子(蕭統しょうとう)が編纂した『文選もんぜん』の巻15に採録されている後漢・張衡ちょうこう(78―139)の「帰田きでん」にある句です。
張衡は官を辞して隠棲する故郷のすばらしさをうたい、その最初に「仲春月、時気清」(仲春の令月、時やわらぎ気む)と記しています。このことは、江戸時代初期の学僧の契沖けいちゅうが指摘し、戦後の万葉研究をリードした澤瀉久孝おもだかひさたかの注釈にも継承され、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店、1999)の注にも書かれています。
「梅花の歌」の序文には、この他にも中国の古典をふまえた句がいくつか見えますし、『万葉集』全体にも、多くの中国の古典を典拠とする表現があります。中国の古典文学は、過去の言葉を巧みに言い換えながら、独自の文学言語を生み出して作品を創作します。李白や杜甫もそうです。その際、『文選』と唐・李善りぜんのつけた注釈(658)は、最も重要な手本になっていました。ちなみに、李善の注を見れば、「令月」という言葉は経書の一つ『儀礼ぎらい』にあり、「令」は「善」の意味だということがわかります。


日本の万葉歌人も中国の詩人たちと同様な方法で創作しますが、日本語で書かれているわけではありませんから、その習得には並々ならぬ努力を要したはずです。今に伝わる作品は、その努力の結晶なのです。
日本の言語・文学・文化を学ぶ人には、日本の漢詩漢文が中国の古典の言葉を自家薬籠中の物としながら日本の風土に合わせて創作されたこと、日本の古典文化はそのような過程を経て形成されていったのだということを知ってほしいと思います。

日本文学科 教授 富永一登

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【略歴】
広島大学文学部、大学院文学研究科修士課程及び博士課程後期で中国文学を専攻。『文選』(もんぜん)と古小説を中心に研究を進めている。『文選』では中国古典文学の型を追究し、古小説では古代人の想像力の根源を解明することをめざす。高校の漢文教材に対する考察にも取り組んでいる。