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日文ひろば:「ネット社会に思うこと」 小杉初実(日本文学科3年) 

2015.02.24

 ネット社会と呼ばれるインターネットの発展した社会は、私達に多くのものをもたらしたと思う。検索をすれば、興味がある情報は数秒で見つかるし、好きなアーティストや著名人たちが最近何をしたのか、さらに言えば今何をしているかすら、インターネットを介して知ることが出来る。またその情報も、かつてはパソコンから見るのが一般的だったが、携帯電話やスマートフォン、またApple社開発のiphoneシリーズなど、小型端末の普及にともない、自宅以外の場所でも容易に情報収集・発信を行うことが出来るようになった。特にスマートフォンは自宅にパソコンを設置するよりも手軽にインターネットを使うことが出来るために、今では多くの人々が用いるネット端末となっている。

 しかし、ネット社会が発展したことによって生まれたのがメリットだけではないことは、昨今のニュース番組を見れば明らかである。ネットを介して知り合った顔も知らない人間と会う約束をとりつけ、インターネット外の世界での交流をはかるいわゆる『オフ会』でのトラブルや、またメッセージアプリのメッセージを読んでない、もしくは読んだけど返信をしないといった行動による友達グループの中でのトラブルのニュースは、もはやニュース番組で見るのも珍しくなくなってしまった。また、一方では芸能人や著名人に関するデマ情報が驚くべきスピードで広がって行ったり、冗談のつもりでアップロードした画像が深刻な問題として捉えられたりと、インターネットで得られる情報そのものに対しての取捨選択も要求されるようになってきている。

 それでは、なぜ、このようにネット社会における問題が特に最近多く取り上げられるようになったのだろうか。私が考えたのは、人々に未だ『自分も情報を発信する立場である』という自覚がないからではないだろうかということだ。

 かつて私たちは、インターネットを利用する理由は『情報を受信する』ためという場合が多かった。情報を検索し、すでに開設してあるWebサイトやブログから情報を得るために私たちは携帯やパソコンの電源を入れていた。なぜなら、Webサイトやブログを開設するのにはどうしてもその前の準備の段階で一手間かかってしまい、誰でも気楽にすぐ、という状態で始められるようなサービスは少なかったからだ。しかし昨今、人と交流をするためのSNSサイトやアプリはかなりの発展を遂げた。登録さえすればデザインも気軽に選べ、またその登録自体も、メールアドレスや名前を入力すればその日からすぐにサービスが使えるものが多い。また、『2ちゃんねる』に代表される掲示板型Webサイトとは違い、自分が話したい話題を好きなだけ、また、公開したい相手を絞って発言することも出来るために、TwitterやFacebookに代表されるSNS系サイトは大きく発展していった。しかし、あまりに急激な発展は、結果としてユーザーを置いていくことになったのだと私は思う。

 発信する側となった私達に足りない意識は、『自分が見ている情報と同じように、自分の発信した情報も知らない誰かが見ることが出来る』というものだと考える。SNSサイトのプロフィール欄に個人情報を書き込んでいても、自分の情報を悪用するものなどいないだろう、自分だけは巻き込まれないだろう、と考える人々は少なからずいると思う。もしくは、信憑性がない情報だからまさか信じる人はいないだろう、という考え方も想定される。しかしそれらは全て誤りである。自分たちが今まで見てきた情報の様に、自分が一度インターネットで発信した情報は、誰かしかが必ず受信を行っているものである。そして、受信を行うとき、私たちが「なるほど」と思ったように、誰かも「なるほど」と思いながらその情報を受信するのである。その人間がその情報をどういう受け取り方をするのかはもちろん自由であり、未知数である。私たちがその受信方法を確実に予想するということは難しい。つまりその話題が重要であろうとなかろうと、一度発信した情報は、悪い言い方をすれば『取り返しがつかない』状態になるのである。情報を発信する側になってまだ間もない私たちは、ネット社会における情報の価値を、また、情報が相手にどう捉えられるのかと言う考え方を、改めて見直さなければならない。そして、それを考えるに当たっては、自分達が学生であろうと社会人であろうと関係がない。ネット社会においては全ての発信する人間は平等に『発信する人間』であり、『受信する人間』にとって発信する人間そのものの情報は必ずしも必要なものとは限らず、むしろ度外視されることが多いからだ。

 ネット社会の急激な進展がもたらすのは決してメリットばかりではない。しかし勿論デメリットばかりと言うわけでもなく、むしろ慎重に扱えばメリットのほうが格段に大きい。しかし、私達はまずネット社会における意識そのものを早急に捉えなおす必要があると思う。自分が発信した情報は必ず誰かが受信し、そしてその情報価値の有無を決めるのは発信側ではなく、あくまで受信側の人間なのだということを、私たちは再認識していく必要性がある。

(第28回安田女子大学・安田女子短期大学エッセイコンクール課題部門優良賞作品。審査委員会の同意を得て転載)