• エッセイコンクール

安田女子大学・安田女子短期大学では、毎年、本学の学生を対象に「エッセイコンクール」を開催しております。 どの作品も学生それぞれが抱える内情や問題について、深い思考を重ねたことが窺える作品となっています。ぜひご覧ください。

『わたしの過ごした まほろばの日々』出版のお知らせ


この度、書籍『わたしの過ごした まほろばの日々』を安田女子大学出版会から出版する運びとなりましたのでお知らせいたします。『わたしの過ごした まほろばの日々』は本学実施による「エッセイコンクール」での受賞作品をまとめた作品集となります。
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本学エッセイコンクールの歴史は古く、1988年度開催の第1回から2019年度で33回目を迎えます。優秀作品については毎年、広報誌『まほろば』に掲載して参りましたが、卒業生や一般の方にも広く読んでいただきたいとの思いから、過去優秀作品53点を1冊に収めました。
本書籍は安田女子大学ブックセンター(紀伊國屋書店)、紀伊國屋書店広島店(アクア広島センター街6階)で販売しています。また安田学園サービスのホームページからもご購入いただけます。
是非、一度お手にとってご覧ください。

書籍名:わたしの過ごした まほろばの日々
発行者:安田女子大学出版会
価 格:本体900円+税

第37回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「人工知能と共存する」「夢を持って生きるということ」「新しい日常をつくる」をテーマにした課題部門への応募が126件、自由部門への応募が99件、計225件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しました。学長賞1作品(全文)を紹介します。

課題部門

  • 学長賞

    該当作品なし

自由部門

審査員より

■課題部門 優良賞「小さな夢の積み重ねが大きな夢を実現する」

このエッセイは、夢と希望について深く考えた洞察的な文章である。著者は、自分たちの恵まれた生活環境から出発し、夢は希望であり、個人が望むものであると述べている。また、発展途上国の女の子たちの困難な状況を強調し、自分たちが持つ夢と希望を大切にするべきだと訴えている。講義で学んだNPO団体DEARMEの活動を通じて、夢が子供たちの希望として具体化する瞬間に焦点を当て、希望と夢が他の人々に感染するプロセスを示唆している。最後に、自分の夢を追求することが他の人に希望ときっかけを提供できる可能性を強調し、他者への貢献と感謝の大切さを説いている。全体として、夢と希望の重要性について深い洞察を提供するエッセイとなっている。


■課題部門 優良賞「あなたの言葉で人生が変わる⁉」

人工知能と共存した時の利便性と怖れが多面的に想像され、さらに良く共存するために何をしておくべきかも具体的に提案されている。短いエッセイで力強く訴えることが出来たのは、短いセンテンスを連ねる文体の力による。 このエッセイは、人と人とのコミュニケーションの重要性について考えさせられるものである。著者は人工知能の増加によるコミュニケーションの機会減少を指摘し、人間の感情や成長において重要な役割を果たすと主張している。飲食店の経験や教育現場の例を通じて、人との交流が感情や人間性を形成する重要な要素であることを強調している。また、人工知能は便利であるが、感動や深いつながりを生むことは難しいと指摘している。最終的に、人とのコミュニケーションの場を守る必要性を訴えている。エッセイは感情豊かな言葉と具体例を用いて、人間同士のコミュニケーションの重要性を力強く示している。

■自由部門 学長賞「熊本地震を経験して」

著者は、熊本地震を経験し、それが著者の夢である建築士になる決意につながった経緯を感情豊かに語っている。熊本地震での自身の体験を、当事者として具体的かつ詳細に説明しており、事実に基づいた説得力がある。そして、地震の被害と、著者自身の出身地である熊本への愛情から、地震に強い建物を設計し、人々を守る建築士になることを望んでいる。また、海外での活動も視野に入れ、日本の技術を広めて災害に備えることに貢献したいと述べている。 このエッセイは、個人の経験が夢や志にどれだけ影響を与え、どれほど強力な動機づけになるかを示す良い例であり、マイナスの出来事をプラスに転じる前向きな姿勢が感じられる。著者の情熱と使命感が魅力的に表現されているとともに、被災の実相がリアルに描かれており、被災した少女が、どのように志を立てるに至ったかも説得力をもって伝わって来る秀作である。

■自由部門 優良賞「挨拶の大切さ」

本作で語られる著者の体験は、読者に自分自身の体験であるようにリアルに迫ってくる。それは切なさが共有されることを意味する。著者の訴えが説得力を持つ由縁である。 著者は、毎日の挨拶が一般的であると考えがちであったが、ある日の出来事を通じて、挨拶がどれほど重要で、人とのコミュニケーションに対する影響力を持つことを理解した。特に、著者が挨拶を無視してしまった時の後悔や、おじいちゃんの突然の亡くなりによって得られた洞察は、感情的で示唆に富んでいる。エッセイの結論では、挨拶が日常の中での大切な瞬間であり、人々に元気と前向きさをもたらすことを強調している。読者は、挨拶を大切にすることの重要性について深く考えさせられるだろう。このエッセイは、普段の生活の中に潜む価値についての素晴らしい考察である。

■自由部門 優良賞「パワフルばあちゃん」

本作での戦争体験の伝承部分は、出色の出来である。今後、本学を受験しようかと考えている高校生にも読ませたい作品といえる。 このエッセイは、祖母との触れ合いを通じて、家族や生活に対する洞察を探求している。祖母は年齢を重ねつつもアクティブで、多くのことに挑戦し、人との繋がりを大切にする姿勢を持つ人物である。著者は祖母から多くのことを学び、特に祖母の戦争体験に触れ、生命の強さと人間関係の重要性を理解している。エッセイは、祖母との感情的なつながりを通じて、自己成長や新たな一歩を踏み出す力を見つけることに焦点を当てている。祖母の手から受け取る力や励ましは、新たな挑戦に臆せず進む助けになり、希望とエネルギーを著者にもたらした。

エッセイコンクール審査委員/中尾康朗、𠮷目木晴彦、山下明博(委員長)

第36回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「戦争はなぜ無くならないのか」「旅ができるようになったら」「親になること」をテーマにした課題部門への応募が6件、自由部門への応募が17件、計23件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しましたのでこちらで紹介いたします。

課題部門

  • 学長賞

    該当作品なし

自由部門

審査員より

■課題部門 優良賞「親になること、大人になること」

「親」と「大人」という非常に隣接した概念の共通点と相違点とを明らかにしながら、自身の考えを明確に主張できている作品。読みやすい導入に始まり、話題になっている社会課題について自分なりの分析を加えながら、読み手に改めて問う姿勢を高く評価した。全体的に、しっかりした構成のエッセイになっている点を高く評価したい。特に、身近に起こったエピソードから書き始め、タイトルとした「親になること」と「大人になること」を比較し、その差異から、親になるために必要なのは自覚と覚悟であるというメッセージに展開していく構成に説得力が感じられる。課題部門に応募した作品中では相対的に本作が一番優れていると評価される。

■自由部門 学長賞「パプリカ」

日常の中にある変わりゆくものと変わらぬもの。今変わらないと思っているものもいずれは別れの時を迎える。苦手なパプリカを食べたときのようなぎこちない笑顔もいつしかにっこり笑えるようになっているかもしれない。時間と言うものの経過の持つある面非情な側面について、家族と自分との関係の過去から現在への変遷をモチーフにして語り進めている。確かに「時」は全てを思いがけない方向に、一抹の寂寥感を残す形で変えて行ってしまうと言う事実に思いを巡らせている。暑い盛りの夏休みに変わりゆくものへの感傷に浸る経験の先の自分に向けるまなざしの温かさに心響く作品である。文書力は自由部門応募作中で一番良かった。話の展開、素材の配置、光景の描写、いずれも秀逸で、職業作家をも凌ぐレベルと言える。

■自由部門 優良賞「平和を叫ぶこと」

被爆体験伝承者の道を選び、平和を叫ぶ権利についてどう考えるかという自分内部の葛藤を具体的に提示した上で、この活動を通じて被爆者の方々から伺った話を契機として、単なる批判ではなく戦争自体の恐ろしさを考えて行動を起こすことの意義を見つけ出していった経緯をたどりながら、自分なりにまとめている点を評価したい。そういう意味で、このエッセイは、「願うだけではなく、行動を起こしたい。世界をほんの少しでいいから変える力をもちたい。」といった強い信念が感じられた作品と言える。「平和を叫ぶ権利」という着眼点に、控えめな中にある、揺るがない強い意志が読み取れる。「知っている」ことと「知らない」こととの隔たり、「知っている」ことと「行動に起こす」こととの隔たりについて改めて考えさせられる。過去、現在、今もなくならない人々の争いに他人事ではなく、自ら向き合おうとする意志を感じることのできる作品である。総じて、筆者は正論をしっかりした論理性を保ちつつ展開している。核廃絶運動が我が国の戦前の軍事行動との関係でその基盤が揺らいでいることについても、筆者なりに思索を進め、かなり説得力のある結論に達している。

エッセイコンクール審査員/古瀬雅義、吉目木晴彦、山田貴子、香川晴美、冨岡治明(委員長)

第35回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「気候変動による季節感のずれ」「男女共同参画社会を考える」「微笑ましい情景」をテーマにした課題部門への応募が19件、自由部門への応募が47件、計66件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しましたのでこちらで紹介いたします。

課題部門

  • 優良賞

    ■テーマ:微笑ましい情景

    「日常」

    国際観光ビジネス学科
    1年2組 遊佐 帆香

自由部門

  • 「LINE」

    日本文学科
    2年2組 桐田 花凛

審査員より

■課題部門 学長賞「女子教育から考えた男女共同参画社会」

女子校から女子大に進学してきた筆者が、現在の国際的課題である「男女共同参画社会」について、自分の体験から得た視点で考察したことを整理して書いている点を評価したい。言い変えれば、時代の変化、ニーズを客観的に捉え、女子教育のあり方について考察している力強い作品である。自分自身が、中学、高校、大学と女子高、女子大学で過ごし、女子のみの集団では「女子も男子も無く」、一人間としての自己がより一層問われてくるとのエッセイ冒頭の問題提起は印象的である。青年期に女子教育に触れ続けたからこそ明確になった問題意識は、時代の変化のなかでの女子教育の意義の主張としてインパクトがある。 「社会に必要な人材とは何か」という点では本来男女の差別など存在しないが、妊娠出産を担う女性としての役割にも注目し、その選択を「否定しない」ことの重要性を問いかける意見を出すことで主体的な選択が平等化に繋がることを指摘したメッセージに共感を覚えた。加えて、女子校で長年学びながら、旧態依然とした女性の役割を全面否定するのではなく、男女に拘わらず自分の意思、能力を発揮するべきであるとした客観性が評価できる。女性の差別を過剰に意識するのではなく、主体性をもつ意思決定に参加するべきであるとする。諸外国との単なる比較ではなく、まず自分のこととして「ジェンダーレス」を考える点が優れている。

■自由部門 学長賞「わたしの家に蟹が来た」

母が懸賞で毛蟹を当てて家族で食べた、というささやかな出来事を通して、「食べることで命をつないでいくのだ」という根源的な問題を、的確な表現とスピード感のある展開で生き生きと描いた点を高く評価したい。自分の体験を振り返って普遍化することで日常の「食べる」行為と「いただきます」という言葉の本当の意味を理解し、「生き物の命を私がいただこうとしている」ことの気付きをさらりと描きながらも、奥深いものがあると感じた。加えて、ユーモアのセンスが抜群である。また、臨場感あふれる表現であり、文章が映像化されている。また、人間は生き物の「命」を日々食料としていることに思いを馳せるべきである点に言及し、全体を通じ哲学的ですらある。カニカマとホンモノをカタカナで表現するほほえましい家族が「我が家の今年一番の大事件」と大合唱する声が聞こえてきそうである。特に、生きものの命をリアリティある描写で、感性豊かに表現している作品に仕上がっている。蟹を「ヤツ」と表現している点はセンスがある。他の命の犠牲なくして我々の命は成立し得ないという日常生活において見過ごしがちな視点を、「ヤツ」である蟹と「わたし」が対峙する場面描写を通して巧みに表現している。総じて、ユニークな発想で書かれたエッセイであり、筆者の家に懸賞の賞品として送られて来た蟹を家族で料理して食すまでの顛末をユーモラスな文章で語っている。鍋の中での生き物の死は一抹の哀感を家族に齎すが、結局の所は茹であがった蟹を賞味してしまう。食と言うものが、食材となる生き物の命の重みに支えられていることを何となく実感させられるエッセイである。語り口が軽快なためか、話が暗くならない所が良い。

エッセイコンクール審査員/冨岡 治明・古瀬 雅義・大庭 由子・永田 彰子

【芥川賞作家】
𠮷目木 晴彦先生より

樋口一葉は小説を生み出す才能においては、近代随一の作家でしょう。彼女が夭折しなかったら、日本文学の歴史はどう変わっていただろうかと、現代の小説家や批評家が今も折に触れ空想し、話題にもします。 和田芳恵「一葉の日記」(講談社文芸文庫版、絶版)によれば、晩年の一葉は、小説家を辞めたいと考えていたようです。「我れは女なり。いかにおもへることありとも、そは世に行ふべき事かあらぬか」25歳(満年齢24歳)の2月22日の日記にそう記した彼女が考えていたのは、下層社会の女性救済活動でした。 今回の学長賞受賞作品「男女共同参画社会を考える」を読んだら、泉下の一葉は何を思うでしょうか。自分の死後120年を超えて、同世代の女性がこのようなことを考え主張する世が実現したのだなと、感慨深く思うに違いありません。女性の地位が伴侶次第の時代、小学校4級までの学歴しか持てなかった樋口一葉は24歳の若さで貧窮の中、金のため恋文の書き方の実用書原稿を書きながら結核に命を奪われました。 もう1つの学長賞受賞作「わたしの家に蟹が来た」は文体に感心しました。この作品が成功した第1要因は、センテンスが短いことです。これは、文脈が乱れない、文章にリズムを生み出す、作者の意図が明確に伝わる、などの効果をもたらしています。さらにユーモアのセンスが文章全体をくるみ込んで読む側を微笑ませます。作者は自分を客観視しています。大人が幼児の行動を観察するように見ています。同じ視線が「いのちをいただく」という悟りを呼び寄せているようです。夏目漱石が文学論で指摘したリアリズムの要諦。「吾輩は猫である」の語り手の猫の視点。本作も同様に秀作です。

𠮷目木 晴彦先生

【主な受賞歴】
  • ・第28回群像新人文学賞優秀作(1985年)『ジパング』
  • ・第10回野間文芸新人賞(1988年)『ルイジアナ杭打ち』
  • ・第19回平林たい子文学賞(1991年)『誇り高き人々』
  • ・第109回芥川賞(1993年)『寂寥郊野』

第34回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「生まれ変わるとすれば」「私をブランディング」「子どもたちの未来を考える」をテーマにした課題部門への応募が29件、自由部門への応募が56件、計85件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しましたのでこちらで紹介いたします。

課題部門

自由部門

審査員より

■課題部門 学長賞「子どもたちの逃げ場所」

路地に迷い込むのに誰も気付かず、止めてやれない・・・SNSと現代の子どもとの関係がよく書けている。定量評価の対象物という身の上から抜け出す先は、サイバー空間しかない子どもたち。鋭い切り口を示した作品である。特に、若者が「生きづらさを感じるとき、我々はどこに助けを求めるのか」という筆者の問いが作品にインパクトを与えている。筆者はSNSの世界が持つ都合の良さを知りつつ、そこに蠢く危険も認識している。そのような危険をはらむSNSの世界に逃げ込まざるを得ない現代の子どもの状況を作っているのは、学校教育の問題であり、さらには現代社会の価値観の矛盾にあるとの指摘には納得させられる。加えて、SNSの危うい世界での居心地のよさとそこに潜む危険性を見事にあぶりだしている。理屈抜きの「同調圧力」に対しては、表層的な「異文化理解」などの小手先学習では無理でしょうと厳しい評価を下している点が優れている。総じて、人を数値化して評価することに違和感を感じ、傷ついた子どもがSNSに自分の居場所を見つけそこに逃げ込んでいる現状と、その危うさを的確に捉え、自分なりの解決策を模索している。「逃げ場所は現実世界にそれも学校に」という締めくくりは非常に説得力のある訴えかけと評価できる。

■自由部門 学長賞「あゝ人生は怪我ばかり」

作者が生まれてこの方、何度も怪我ばかりをしていることをユーモラスな語り口で、微に入り細に入り描写している。読んでいて微笑ましくなるような感性に溢れたエッセイであり、読者の共感を呼ぶ優れた文章構成になっている。読者が目の前で怪我の現場を見ているかのような情景描写が秀逸である。誰でも怪我はする。いきなり命を落とす者だっている。作者の怪我は、本当は大した怪我ではないのかもしれないが、その時の心細さ、情けない心情がそのまま描かれており、読む側にも懐かしい記憶を思い起こさせてくれるが、不思議と悲壮感は感じさせない。きっと皆同じような体験をしてきたからだろう。総じて、読んでいて思わず引き込まれる文章表現が印象的な作品である。飲酒をした際に古傷が赤くなるとの描写から、その怪我をする経緯への展開がユニークである。2回の怪我をした場面の描写も非常に臨場感にあふれており、その文章展開は読み応えがある。

エッセイコンクール審査員/永田彰子、吉目木晴彦、大庭由子、高田厚、冨岡治明(委員長)

第33回 安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール選考結果

今回のエッセイコンクールでは、「SNSについて考える」「家族について思うこと」「凛として生きる」をテーマにした課題部門への応募が54件、自由部門への応募が64件、計118件の応募がありました。選考の結果、次の方々の受賞が決定しましたのでこちらで紹介いたします。

課題部門

  • 優良賞

    ■テーマ:SNSについて考える

    「トリツカレ」

    現代ビジネス学部国際観光ビジネス学科
    3年1組 中田 希美

自由部門

審査員より

■課題部門 学長賞「家族について思うこと」

母親と自分との親子としての関わり合いと家族というものの大切さを、己の幼い頃の体験を基に、素直な気持ちと優しい視点で、自然体の読みやすい文章で綴った優れたエッセイである。感心することに、奇を衒ったところが微塵もない、素直で率直な文章である。書かれている内容も家族の波乱と著者の成長の物語として、悲劇を含む内容であるにもかかわらず、すがすがしい読後感が残る。また、話の構成、表現力、人物描写に優れている。加えて、読者の心に染み入るような繊細な筆致での情景表現が秀逸であり、読者に深い感動を与えている。涙の話ながら、語り口は情緒過剰な様子はまったくみられず、どこか淡々とさえしたシンプルで読みやすい文章の中にも場面場面の情景が描写され、私と母の涙を軸に、一つの「家族」の変遷が描き出されているように思う。軸がしっかりしているからこそ、さまざまな場面を描きながら、説明不足とも感じない。なんだか映画のように情景が想像された。

■自由部門 学長賞「いただきます」

食べ物を通していのちと向き合うということを丁寧に描写している作品である。串焼きとしての鶏肉からいのちの在り様を描写する意外性が読者の興味を喚起させる。仕事を共有する親子の時間をさらりと触れつつも、仕事をする親の後ろ姿が筆者の意識に与えた影響を読み手に印象付けている。今年のクリスマスはローストチキンが食べられなくなるのではと思わず思ってしまった。生き物を食すという人間の行為は太古の昔から続けられていることだが、「命をいただく」ことに対して「感謝」の気持ちを常に持ち合わせているか否かを突き付けた点が素晴らしい。そしてこの重大な視点を自分の身近な事例で述べたことが勝因である。因みに、「いただきます」に相当する英語は何か。まさか「Thank you」や「l will receive」ではないだろう。日本に文字(漢字)が伝わった時、自分たちの現実を文章にしようとして大学寮(高級官僚養成所)の秀才たちは、中国語以外の書き言葉、すなわち漢文を作り出した。中国語の単語では日本の感性=姿が表現できなかったからである。総じてこの「いただきます」というタイトルのエッセイは、すぐれて日本人の感性,文化を表す言葉で、自分の体験からそれに向き合うところまで行き着いた秀逸な作品である。

エッセイコンクール審査員/永田彰子、吉目木晴彦、大庭由子、西村聡生、冨岡治明(委員長)